脳波から見た"そろばん"有段者のイメージ思考

河野貴美子(かわの きみこ)先生

元・日本医科大学 情報科学センター所属
国際総合研究機構副理事長

脳科学

脳の左右差

 私のところでは、十数年前からヒトのさまざまな思考を脳波で探る試みを行っています。当初、被験者は主に身近な学生達で、音楽を聞かせたり、暗算をしてもらったりしながら、精神活動が脳波にどのように現れるか検討していました。そして200人以上のデータをまとめた結果、個人差はあるものの統計的には、脳の使っているところを示すベータ波が、音楽を聞いている時には多少右脳に、計算をしている時には左脳に多く現れる傾向が見えてきました。これは、「イメージ処理や図形認識、また音楽など芸術的なものは右脳、論理、分析そして計算など言語に伴うものは左脳の機能」という説を裏付けるものでした。
 そんな時、あるテレビ局が、そろばんで日本一になった中学生の脳波を計測して欲しいとやってきました。しかしながら、個人差によるばらつきが大きい脳波です。明確な違いを示せるような結果 など難しいだろうと思いつつ実験に取り組みました。

活発に働く右脳

 ところが、その中学生が何桁もの暗算に取り組んでいるとき、ベータ波は左の側頭にはほとんど現れず、右後頭部に大きく現れていたのです。つまり、右脳で計算していることになります。でも一人だけの結果 では何ともいえないと思っていましたが、その後、別の大会で日本一になった女性を計測したときにも、ほとんど同じようなパターンが現れました。
 そこで、次々と高位有段者の方々にお願いして実験してみたところ、多少のばらつきはあれ、ほとんど同じような結果 でした。有段者の方々に計算方法を訊ねると、「そろばんの珠が頭の中で、自由に動いているだけです」といわれます。視覚的なイメージだけで計算が進んでいることがわかります。

一般的な言語思考とそろばんのイメージ処理

 それに対し、普通の人の計算では、「えーと、100から7を引くと93で・・」というように、頭の中で言語化しながら行っているのが一般的です。浮かんだ数字のイメージを言葉で確認しながら計算しているのです。そろばんが得意な方々は珠の動きのイメージだけで、いちいち言葉に置き換えてはいません。その違いが脳波に現れていると考えられます。
 このような脳の使い方は、そろばんの有段者に限ったことではありません。例えば将棋のプロが対局したり、詰め将棋を解いている際にも、似た脳波のパターンが見られます。つまり、イメージがくっきり浮かび、いちいち言語化しなくとも思考を進められるような時には、左側頭のベータ波は小さく、右後頭に大きくなるわけです。そのようなプロ棋士でも、暗算中は普通の人と同じようにベータ波が左脳に多めに現れます。そろばんの有段者とてその点は同じで、すべての場面で右脳を使っているわけではありません。

そろばんの魅力とイメージの活用

 そしてまた、そろばんさえやっていれば絵画・音楽に至るまで右の機能がすべてよくなるということでもありません。大切なのは、培ったイメージ力を積極的に他の場面 で活用するよう心掛けることです。有段者の中には、教科書を暗記する際にページごと頭に入ってくるとか、年号もさっと憶えられるという方もいます。積極的な活用により可能性は広がるはずです。
 有段者にまで至らなくとも、その導入時期でもイメージ化のし易さはそろばんの利点でしょう。目の前で珠が動きますから、足したり引いたりのイメージがつかみやすく、十進法や位取りといった理解も容易です。数が理解できれば算数も好きになるでしょうし、自信にもつながり、そのほかの教科にもいい影響が出てくるかもしれません。
 現代の教育は一方的に与えられる理論や棒暗記に偏りがちで、本当に分かったと思える瞬間が少なくなっています。イメージを有効に使うことが人間的な思考、さらに創造力やひらめきに繋がってくるのではないでしょうか。

講師紹介、主要著書・論文

  1. 暗算をめぐって (特集 暗算をめぐって) ,数学文化 (9), 50-72, 2008-01
  2. 『脳を鍛えるそろばんドリル』 ,日本文芸社 (2004/10)
  3. 『脳に差がつくそろばんのすすめ ― 科学が証明した"独創脳力"の秘密』 ,ハート出版 (1994/07)