そろばんを学ぶ意義

芝野 三智子(旧姓・西田)
珠算二世永世名人
「日本珠算」620号より

 

恐る恐る教場へ

私がそろばんを習い始めたのは、小学校に入学して1カ月程が過ぎた頃でした。すでに4月から始めていた近所の友達に誘われて、恐る恐る教場に足を踏み入れたのを覚えています。小さい頃から肥満児で、いじめられっ子の経験もあった私は、どちらかと言えば引っ込み思案で消極的な方でした。しかし、そろばんはそんな私の性格に合っていたのか、すぐに面白くなって、2年生で3級・3年生で1級に合格。このころから競技大会にも出場させてもらうようになり、益々そろばんの魅力に惹かれていきました。6年生では、六段を取得していたと思います。

そろばんで培った暗算力

好きだった教科は数学。問題を解く上で、そろばんで培った暗算力がどれほど役立ったかは、言うまでもありません。計算に自信があれば、問題を解くことに積極的になれ、挑戦する意欲がわいてきます。また、解けるまで何時間でも難問に立ち向かう粘り強さや集中力もそろばんを通して身につけた能力だと思います。

全国大会に出場

中学校時代には、医者になりたいという夢があり、一旦はそろばんから離れ、学業に専念したのですが、練習しないとせっかく身につけた能力がどんどん衰えてしまうという不安を覚え、2年生の終わり頃から少しだけ練習をするようになりました。そして、気楽な気持ちで3年生の春に出場した全国大会の予選で、練習でも取ったことのない点数で奇跡的に全国大会への出場権を得て、全国でも入賞を果たしてしまったのです。このことがきっかけとなり、その当時、団体競技で全国2連覇中だった明徳商業高等学校へ進むことになりました。明徳高校では良き指導者や仲間に恵まれ、3年間で5回の全国制覇・国際大会での個人優勝など、たくさん良い経験をさせていただき、自分を成長させることができました。

大学進学と「そろばん日本一」

高校入学とともに、将来の夢は医者になること芝野三智子(旧姓・西田)から「そろばん日本一」になることに変わっていましたが、大学への進学はあきらめきれませんでした。この頃は、まだ一芸入試やAO入試のような自己PR型の入試制度がなかったので、公募制推薦で受験するしかなく、受験勉強など一切していなかった私が合格することなどは、不可能に近いことだったと思います。しかし、ここでもそろばんで身につけた、粘り強さや集中力が役立ち、夏の全国大会後の3カ月の猛勉強で京都産業大学の経営学部に合格することができたのです。
無謀にも大学は1校1学部しか受験せず、不合格の場合は就職するつもりでしたが、結果的に大学に進めたおかげで、練習時間も十分取ることができ、その後の三大タイトル獲得につながったのだと思います。

母校の商業科教員へ

大学では、教員免許を取得し、母校である明徳商業の商業科教員として採用していただくことができ、現在も勤務しています。その間、選手兼珠算部の顧問として全国大会に出場したこともありましたが、残念ながら京都ではここ十数年間で珠算人口が少なくなり、明徳高校の珠算部もなくなってしまいました。

そろばんを学ぶ意義

しかし、そろばんは人間の能力を最大限に発揮させるために絶対不可欠な習い事だと思います。地道な努力を要求され、必ず自分で正しい答えを出さなければ前へ進めない、厳しい習い事なのです。だからこそ、粘り強さや集中力が身につき、努力が実を結んだときの喜びが自信につながり、何事にも一生懸命取り組む姿勢が持てるようになるのです。そんなそろばんの良さが少しずつ見直され始めていることは、たいへん喜ばしいことだと思います。これから益々、そろばんを学ぶ意義が多くの人に理解され、みんなが昔のようにそろばんを習う時代が再びやってくることを願っています。